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ネット例会

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2024年4月4日開会

通算177

ネット例会報告

開催日

2024/4/4

※例会開催日はです。

開会点鐘・歌の斉唱

君が代

四つのテスト

会長挨拶

桜がだいぶ咲いてきまして、昨日雨が降りましたけれども、私が見たところ花びらもあまり散っていない感じですので、今週末も花見が楽しみになってまいりました。
私ごとで恐縮なんですが私趣味で絵本を書いているんです。今回は自分の絵本ではなくて、初めて人に頼まれて、挿絵を書いて初めて流通に乗ることになりました。、基本的には、小学校とか地域の図書館とかに寄付をする予定で書いた童話でして、内容としましては、ペットを最後までちゃんと飼いましょうという小学校の高学年向けの本です。飼い主が飼えなくなった鳥を保護するNPO法人があるんですが、そのNPO法人の方と協力しながら書いた絵本でして、またたくさん本が届きましたらロータリーの皆さまにもお配りしたいと思いますので、お荷物になりますけれども、そのときはまたよろしくお願いします。
話は変わりますが、最近ちょっとショックなことがありました。家の前にあった樹齢4、50年の木が突然切り倒されることになりまして、私は毎日見ていた木だったので非常にショックです。
見通しが悪くなって信号が見えなくなったので切り倒しますって書いてあったんです、張り紙に。近くに信号もないのに何なんだろうなと思って非常にやるせない気持ちになって、どこかの使い回しの張り紙がしてあったのかなと思って。相当私がしょぼんってしていたものですから、妻が最後に木をねぎらってあげたらどうですかって話になって、夜に二人で効果があるかどうか分かりませんが、木に日本酒をかけてあげて、最後にねぎらってあげたんです。なんとなく人間が勝手でごめんなさいとか思ったんです。私もこの名古屋というか社会の一員なものですから、非常に大きな責任をその木に感じた次第でございます。
私たちはいろんなところに所属しております。今お話ししましたように、名古屋市というところに私は住んでますので、名古屋市民ですし、日本というところに住んでいるので、もちろん日本の国民です。例えば身近なところでいきますと、私はいま、町内会の組長をやっているんですが、組長をやると一生懸命会費を集めに行ったり、地域の何かに参加したりということもありますし、私の会計事務所は商店街の中にあるので、商店街の組合員でもあって、どうやって活性化するんだという会議がたまにあったりします。
職業でいくと、公認会計士協会というところに所属していたり、税理士会というところにも所属していて、それぞれの会に会費を払っていろんな便宜を受けたり、自分も活動しているという感じになっています。
とにかく会費を払っているわけですので、会にいるみんなはこの宮の杜ロータリーもそうなんですけれども、基本的にフラットな当たり前なんですけれどもフラットな関係だと思っています。
毎年決算になりますと繰り越し金がたくさん残っちゃうとか、今年はこれだけ残りましたって話になったりします。
会費が高いのではないかとか、会費を下げられるのではないかとか、そういう議論に毎回なるんですが、これはあくまで私の個人的な感想というか感覚なんですが、私は繰り越し金がどうしてそんなに残るのかというのをまず考えたほうがいいと思っています。
例えば出席率が上がれば当然繰り越し金も少なくなりますし、委員会事業をもっと活発化すればお金を使うので、有効にお金を使えば繰り越し金もなくなるわけですので、皆さまの会社と同じように売り上げでお金が入ってきたんだけれども、ではどのように使うのか、どのように使えば会社がより活性化して事業が継続するのかというほうに、どういう使い方をすればいいのかというのを考えたほうが繰り越し金の問題は解消できるのではないかと私は思っています。繰り越し金を問題にするというよりも、どのようにお金を使うのかというのを考えたほうが、より良いクラブになるのではないかなと個人的には思っております。
皆さんが所属するクラブでも地域でもそうなんですが、自分一人一人が役割をどう風にするのかというのは考えていったほうがいいんじゃないかなと思っております。
私は仕事柄、会計とか税金の直接お金に関わることをしています。と発想は違うかもしれないですが、普段我々が払っている税金もある意味、社会に参加するための会費といったら変ですが、所属によってももちろん税金が変わるので会費といったら変かもしれないですが、社会に関わる会費なんじゃないかなと私個人的には思っております。
最初の話に戻るんですが、木が切り倒されたことについて今でもダメージがあって、二日ぐらい前に切り倒されちゃったんですが、そのようなことにならないように私も何らかのアクションを起こしていかないといけないなと今思っております。今週末、多分お花見の非常にいい時期だと思いますので、お花見でもしながら、その場で我々はこのつながりはどうしたらよりよくなるんだろうねみたいな話をしていただけるといいんじゃないかなと思いました。以上でございます。どうもありがとうございます。

幹事報告

●4月ロータリーレート 1$=151円

●4/7(日)の地区協議会に参加される方には「当日のご案内」をLINEにてご連絡させて頂きました。

参加する分科会はそれぞれ違いますので、データでお送りした名札に記載してありますので、確認して頂き、会場へ移動してください。
何卒宜しくお願い致します。

●5/11(土)・5/12(日)に開催されるRFFのチラシとチケットを本日配布させて頂きました。チケットの追加販売につきましては、当日チケットブースにて販売して
おります。どうぞご利用下さい。チケットはポリオ根絶支援となります。
皆様ぜひともご購入下さい。1枚2000円です。

●審議可決事項

第2回IDMの予算が審議、可決されました。

 

●4月28日に酒井会員のやられているジョギングフェスティバルでボランティアを募集しております。皆様、ご協力をお願い致します。

●次回例会は4月18日(木) 12時10分~13時30分 若宮の杜迎賓館となります。

例会後13時40分から本次年度クラブアッセンブリーが開催されます。

会場などお間違いないよう、よろしくお願いいたします。

委員会報告

高木俊郎ロータリー情報委員長より

皆さん、こんにちはロータリー情報委員会の高木です。食事をしながら聞いていただければと思っております。

4月は環境月間にあたります。ロータリーには毎月行動指針に対するテーマが決められております。今月の環境月間につきましては7ページのところに日本の動植物というところ、そこに環境月間のことについて書いてあります。半世紀、年1種ぐらいの動植物、昆虫の絶滅が今や年4万種という記録しております。世界はバランスの上に保たれており、動植物を守っていくことは環境を守り、人を守ることにもつながります。日本のロータリークラブも各地で動植物の保護育成に尽力。今回はその一部を事例としてご紹介されております。このようなテーマに興味がある方はクラブの奉仕事業に提言していただけると、クラブの奉仕事業がまた活性化するのではないかと思っております。雷鳥とかカブドガニとかの保護について記載してございます。ぜひ見ていただきたいと思います。
今月私がご紹介したかったのは、この人を尋ねてというページがございます。西田勤さんという方が書いてあります。この方、ロータリアンの方なんです。お若い方はご存知かどうかわからないんですが、桂文珍さんがロータリークラブに入っていらっしゃいます。大阪天満橋ロータリークラブでございます。確か2020年に入られたという文章中に書かれていたと思いますが、最近70歳を過ぎてロータリークラブに文珍さんが入られております。いろいろと読んでいただくと非常に面白いんです。この人はお話のプロでございますので、多分大変面白いんじゃないかなと思います。大阪天満橋ロータリークラブはヒルトン大阪で例会を木曜日にやっているみたいなので、機会があったら参加したいなと思っているぐらいなんですが、私が興味があったのは、なぜ桂文珍さんが70を過ぎてロータリークラブに入ったのかということです。文珍さんは非常に有名ですし、色々な経験をなさってみえるんですが、それでもロータリークラブに学びを求めて入ってらっしゃるというふうに記載してございます。考えてみると、本当にいろんなことが学べる機会ということでロータリークラブってあるんだなと改めて認識しました。ぜひご一読していただければ幸いに思います。以上でございます。ありがとうございました。

出席委員会 三輪孝之委員より

・出席率(出席免除者3名含む)
(今回)
第177回例会(4/4)
当日出席率:/47名 66.19%
(前回)
第177回例会(3/21)
当日出席率:44/71名 100%
出口茂より  
遠藤様、本日は卓話よろしくお願い致します。
大分暖かくなり、よい季節になりましたね。
今週末は桜が楽しみです。
不破直行より
3/31 22回目の結婚記念日でした。
いつもありがとう。
大塚真次郎より
山田クニオ君
お誕生日おめでとうございます!
鈴木拓将より
遠藤隆一郎さん、本日の卓話楽しみにしています。
伊吹洋平より
遠藤さん、本日 卓話よろしくお願い致します!!!
服部さん、例会楽しんでって管さい!!
柴田智志より
4/2 山田くにおさん、誕生日おめでとうございます
西村良より
宜しくお願いします。

浅野慎之、大野将義、高木俊郎、堀場和孝より

第177回例会を祝して

6月20日の夜間例会については出席率100%を目指していこうということを先日委員会内で話をさせていただきました。どうぞご協力をよろしくお願いいたします。

 

不破直行青少年奉仕委員長

皆さん、こんにちは。青少年委員会から2点、お願いがございます。

4月27日の親子交通安全教室ですが、こちらぜひともご協力してください。今のところ20家族中6、7家族の参加申し込みいただいております。

先日、名古屋市からもお声がけもいただいて、近々名古屋市のホームページにも載る予定になっております。

小さいお子さんも参加していただいて、またお友達も声かけていただいて参加していただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

もう1点は、次年度の青少年交換留学生のホストファミリー。来年1月2月3月の3ヶ月間がまだちょっと空いてますので、メンバーの中で協力しようという方がいらっしゃったらよろしくお願いいたします。

言葉がちょっと心配かもしれないですが、日本語とアプリで全然大丈夫なので、ぜひ協力よろしくお願いいたします。

奥田紘也2024年3月

牧野ななみ2024年3月

 

堀田崇クラブ奉仕委員長

皆さん、こんにちは。クラブ奉仕委員会よりご案内をさせていただきます。

4月25日の午後6時から第2回のIDMが予定されております。

場所はルーセントタワーにあります、THE ONE AND ONLY-NAGOYAというおしゃれなお店です。

IDMは、今まで出席されたことがない方もいらっしゃるのではないかと思いますが、インフォーマルディスカッションミーティングというものでして、例会とは少し違う形でインフォーマルな自由に議論をしている会です。

例会と違って出席義務とかはないのですが、会員の皆様から意見を自由に述べていただいて、クラブ運営に生かしていく会になります。堅苦しく考えることがなくて、気軽にご参加いただきたいなと思っております。

今回のテーマは、3年後に控えます10周年の記念事業としております。

これは3年後になりますので、あまり現実的なことを考えることはなく、絶対に実現できない、絶対にあり得ない記念事業みたいな、突拍子もない案を皆さんに出していただいて、楽しい会にしていけたらなと思ってます。

一人でも多くの皆様に出席していただけると嬉しいです。どうぞ、よろしくお願いします。

その他

株式会社アド・ライブ

遠藤 隆一郎氏

今日は、このような貴重な皆さんのお時間をこのような形でご招待いただきました。ありがとうございます。
短い時間ではございますが、精一杯思いを込めてお話しさせていただきたいと思います。

先ほど会場に着きまして、たくさんの方にご挨拶させていただきました。懐かしい方、親しい方、坂口君のように適当な方、いろいろいましたが、本当に懐かしい方、たくさんお声掛けいただきましてありがとうございました。
少しばかり緊張しておりますが、ぜひ聞いていただきたいと思います。

「小さいことほど丁寧に。当たり前のことは、一生懸命に取り組む!相手の望む半歩先を提供する!メールより電話、電話より会いに行く!おかげさまで32年!」

これは私が視力を失ってから会社が30周年を迎えまして、その時に掲げたテーマでございます。
何かというと、会社のトイレだとか休憩スペースだとかにペタペタペタペタ、いろいろとこに張ってもらいました。
これは特に私が目を見えなくなってパソコンやメールやLINEができなくなって、やはり電話でお話しする、会ってお話をする、そういったことの大切さを本当に肌で感じました。
結局、LINEとかっていうのは要件は伝わります。用事は伝わります。だけど気持ちは伝わらないですよね。
なので、LINEとかメールではなくて、まず会いに行こう、会いに行くのは無理だったら電話しようっていうことを、社員みんなにも改めて気づいてほしくて、こういったことを掲げました。
仕事柄ですが、企業やお客さまの半歩先を提案できるように心がけましょうと。
一歩先では遠すぎるということで半歩先ぐらいやっていきましょうということで、これは掲げさせていただいているテーマでございます。

「20代で汗を流さなければ、40代で涙を流す。

30代で知恵を出さなければ、50代で部下がいなくなる。

40代で人脈がなければ、60代で仕事がなくなる。

50代で人望がなければ、70代で孤独になる。

60代で希望がなければ、80代で後悔する。

70代で夢があれば、90代で歴史に残る。」

これは私の机の前に貼ってあります、いただいた名言でございまして。私は20後半のときですかね、誕生日に尊敬する経営者の先輩からいただいたお手紙をパソコンで打ちました。
これもこういった機会にちょっとご披露させていただいているんですが、自分がこういう生き方できているかな、20代に汗流したかな、ちゃんと周りにいい人脈、お友達できているかな、と振り返ったときによく目が見えるときには毎日会社のデスクの前に貼って、これを見直していたというのがこの紙でございます。
自分が別に90代で歴史に残りたいわけではないですが、こういった人生を過ごせれたらいいなと毎日思っております。

「新型コロナの流行が始まった頃2020年2月21日金曜日、名古屋大学病院にて遺伝子検査の結果を知らされる」

私53歳、昭和46年生まれでございます。
今からもう丸4年になりましたが、2020年、皆さんご記憶にも新しいコロナの横浜港にクルーズ船が来て、5人だの10人だのと言っている頃でした。
その時に私は左目がまず見えなくなって、運転がしづらいなと思って運転を2月の時点ではしていませんでした。
ただ単に目の瞬間的な病気なのかなと思っていました。
そうしたら、上前津にあります比較的大きな安間眼科さんから名大病院に行ってください、遺伝子の検査を受けてくださいと言われまして、何だろうと。妻に何か結果がわかるから一緒に来てくれということで妻と一緒に名大病院に行きました。
そこで、忘れもしない2020年2月21日に病名を宣告されます。
「10万人に1人の遺伝子の病気です。パラリンピックの選手として活躍されている方もいます。

目の病気は死なないから医学の進歩が遅いんです。」

病室で名大の眼科部長に先生結果どうでしたって聞いたら、この言葉を言われます。
レ-ベル病という病気です。レ-ベル病神経炎。私の病気は目ん玉はなんともないんです。
目で見たものがこの脳に伝わる神経が、皆さんが100だとすると、僕はもう10ぐらいになってしまいました。
なので光は感じます。1mぐらいの距離なら人影ぐらいはわかるんですが、のっぺらぼうですし、白黒です。
それがレ-ベル病という10万人に1人の病気だそうです。
それを眼科の先生に、ちょうど東京オリンピックの前なのでこんな表現をしたんでしょう。パラリンピックの選手もいますよ。何のことかわからないんですよね。
急にあなた障害者ですよって言われても僕は受け止めきれず、その病室を妻とショックが多すぎるとそうだと思うんですが、言葉も出ず病室を後にしました。
ただただ名大病院の冷たいコンクリートの床の上の椅子で、30分かな、40分かな、ただただ夫婦で泣いてました。
俺、どれぐらい目が見えなくなるんだろうって、お会計のランプがついてるんですね。画面に何番の方、お会計済みましたっていうのが出るんですけど、それが出てるんですけど、もう全く二人ともわからず、ただただ一目をはばからず。
もしそこで誰かにすれちがっていたら、遠藤どうしたって言われるぐらいバーッと泣いてました。妻と二人で。ようやくおかしな二人だと思ったんでしょうね。事務員の方に遠藤さんお会計ですよって言われて、はっと気づいてお会計をして帰ったのを昨日のように覚えてます。
そこから自分はとうとう障害者になってしまったのかと、そういうこれからは生活になるのかというふうになるんですが、そう簡単には割り切れません。

「絶望から希望に変えた言葉のチカラ」

2月21日にそれを宣告され、そこからは治るという希望も失い、先生にどれぐらいで私目が見えなくなりますか、何かやっていくことありますかって言うと、先生が大丈夫です、遠藤さんの好きなことをやればいいですと、2・3ヶ月から半年でほぼ見えなくなりますと言われました。それが絶望の始まりです。
ですから2月の下旬から3、4、5、5月のゴールデンウィークにはもうスマホのラインが見えなかったです。
iPhoneの一番でかい文字にしても見えなかったです。
3月4月は、車は運転できないので、電車で会社まで地下鉄丸の内まで行ってたんですが、もうそれも怖くなり、5月からは会社のスタッフに送り迎えをしてもらうような生活に切り替わっていきました。
そして、世の中はコロナと大騒ぎで、ちょうど皆さんもご記憶にある緊急事態宣言で学校も休み、会社も行くな。そんなときで。自分は何でこの2020年最悪の年なんだと思っていたのがこの頃です。

「死ぬこと以外、かすり傷。止まない雨は無い。」―遠藤美也子

これは私の妻がかけてくれた言葉なんですが、病名が分かった2月21日から1週間2週間と、毎日毎日泣いて家で食卓テーブルにダイニングに座ってもビールを飲む気もならず、ご飯も食べる気もならず、70キロあった体重が、62キロまで落ちていました。8キロ、自分でも驚きました。やはり目の前に食事ってあるから食べようと思ったり、これおいしそうと思うんですけど、見えないので何が並んでいるかわからない。そうすると当然食欲もわかないですよね。頼りになるのは匂いだけです。
皆さんも一度目をつぶってご飯を食べていただくとわかると思うんですが、全然おいしくないんですよ。体重もぐっと62キロまで下がって、毎日毎日ただ座っているだけで、涙がポロポロポロポロと出てくる。そんなときでした。そんなときに妻が私の肩をポンと叩いて大丈夫、死ぬこと以外かすり傷だと思ってって。もう十何年ぶりに妻と抱き合いましたね。そんな言葉をかけてくれてって。
そして夜も一人で寝ていると、本当に歌の歌詞にあるように枕を濡らすって言いますけども、涙がもうざっとつたってくるんですね。
朝起きてパッと目が覚めると見えないんですけど、天井は見える。白いのは見える。俺まだ生きている。なんとか光は感じているっていうのを、毎日泣きながら過ごしていたときに言った妻の言葉が止まない雨はないよって、どんなに梅雨で毎日毎日雨降ったって、いつか晴れは来る。そんな言葉を妻がかけてくれました。
そっか俺命あるもんな。命以外はかすり傷だって。死ぬこと以外かすり傷だって。思えることができた日でした。
それがちょうど3月の中旬ぐらいでしょうかね。そんなときにそんな言葉をかけてもらい、もうきっと精一杯の言葉だったと思います。
妻も子どもたちも急にですよ。我が家の大黒柱の父親が、車を運転してどこでも旅行でも連れてってくれた父親が、運転できなくなり、お風呂でシャンプーもわからないような父親を見てどんな思いだったかなって今思います。

「パソコンやメールを使わない生活に変えればいいじゃん。」―遠藤美也子

これも妻が声をかけてくれたんですが、ちょうど緊急事態宣言とかで会社にスタッフも半分ぐらいでした。
自宅でやったり、外で仕事をしたりというようなときでしたので、やはり皆さんも当然ですが、冒頭で言ったようにLINEやメールで皆さん社員とのコミュニケーション、お客さんとのコミュニケーションって取られてると思いますが、私にはできません。
メールやLINEもない。電話でしゃべるだけ。社長この資料見てほしいんですけど、見れないですねっていうような会話になるわけですね。もう非常につらいな、もどかしいなって。正直そんな4月5月ぐらいのときに俺生きててもいいのかなとか、こんなところで言うことじゃないですが、本当に生きてる意味あんのかなって思ったのが正直なところです。
毎日毎日そんな連絡をしているときに、なんで俺はパソコンやメールもできないんだって。悔しいよって妻に言ったら妻がこれを言ってくれました。何言ってんの、昭和の初めの人はパソコンもない、メールもない、携帯もない中で仕事してたんだよ。あんたパソコンとかJCのときにやるの嫌いだったじゃんって。ないと思えばいいんじゃないって言ってくれました。
すっと僕は気が晴れて。そうかと。一昔前だったら一人一台パソコンもなかったし、スマホなんかもなかった。
それがない生活になれればいいんだって思いました。
本当に言葉の力っていうタイトルの今日お話をさせていただくんですが、今から出てきますが、本当に人から聞く生の言葉っていうのは、人を助けると思います。また助けもしますし、どん底にも陥らせる言葉というのは本当にすごい力を持っていると思います。

「英検3級、船舶免許2級、はい、1級(にこっ)」―遠藤美也子

ちょっと妻が三連発続きますが、これも障害者手帳を申請してくださいって病院に言われます。
医療費が免除になる、薬代がただになるっていうことで、ただ私にはつける薬もないですし治療もないです。
三ヶ月に一回、名大病院行くんですが2時間待って先生としゃべるのは3分です。おかわりないですかありませんって言うだけです。僕には治療も薬もありませんので。ただ、より悪化してないかだけを見に3ヶ月に1回、2時間待ってやっています。
ただ病院からは医療費免除や新幹線が半額になるとか、タクシーが1割になるとかで、障害者手帳を申請されたらどうですかってずっと言われていました。
申請することで自分自身が障害者になるということが少し抵抗がありましたので、ずっと申請してませんでした。
実は悲劇が続くもので、私は3月ぐらいから目が見えなくなって7月に父親が亡くなります。大好きな尊敬する父親が痩せ細っていくのも目が見えないので見えない。
これは神様のいたずらかなとも思いながら、父を告別式、通夜と手探りの中、たくさんの友人知人に支えられながら見送ることはできましたが、そのときに1週間ほど仕事を休みましたので妻が市役所行く?申請しようか?ということで、父親の用事もあって市役所に行ってたので、障害者手帳の申請をしました。1ヶ月ぐらいで届くんです。家に。妻が英検何級だったっけ、3級だったか4級だったらわからんけど、今は役に立たんなそんなもの。船舶は?2級だよって。乗りたいな、船。そうだよね。はい、1級。って言って障害者手帳1級の手帳を渡してくれました。おっ、何これ。申請したやつ来たよって妻が渡してくれました。
今思えば、来たよ、手帳。これお財布に入れといてって言われたら、とうとう来たかって、赤札が来たかっていう感じだったかも知れませんが、妻がニコニコしながらよかったね、1級の証拠が手元に来たよって言われたときは、ああそうかって。ちょっとうれしい気持ちで受け取ることができました。これも大変感謝してます。
私も調べたんですが、障害者手帳っていうのは1級から6級まであるそうです。その中でもいろんな種類があるそうです。
ただ私もびっくりしたのは例えばですが、皆さんの知り合いとか知人にいらっしゃるかもしれませんが、事故で片腕が損傷したとか、足がないとか、事故で不自由になったといっても1級ではないんですね。
1級というのは本当に私のように一人で歩けない、動けないっていう人が1級だそうです。
もっとびっくりしたのは子ども4人いるんですが、3番目が知的障害でダウン症の子がおります。
ダウン症の子なので、障害者手帳の養育手帳というのを持っているんですが、これ3年に1回申請があるんです。今まだ知的障害ですか、まだダウン症って別にそれも遺伝子の病気なんで治ることはないんですが、3年に1回申請があるんです。
多分、他の目や耳のご病気でもある方もあるかもしれないです。私の場合は1級って申請がないんですよ。びっくりしました。
もうある意味一生あなたは1級ですっていうことなんですよ。回復の見込みがないという。いや、絶対諦めないぞといつかこの手帳返上してやるぞって、それを聞いたときに逆に思いました。え、1級って更新がないんですか。お写真とか変えたい方は、変えれますよって言われて、それは48歳で撮って70歳になって、48歳の写真が貼ってあったら気持ち悪いんで、お写真とか変えれますよって市役所で言われたんです。それぐらい1級というのは重みがある、不自由な人に渡されるものなんだなというのを思いました。
ちなみにですが、私4人のうちの3番目がそういう障害を持ってる子どもなんですが、私が10万分の1、ダウン症が約1000分の1と言われてます。昔、大体小学校に1人いましたよね。かけると、1億分の1の家庭なんですよ。うちの嫁、持ってるなと思いました。と本人が言ってました。なので1億分の1ってお前すごい妻だぞ。母であり。宝くじ買ったらって言ったら、いやいや、そんなんで運使いたくないからいいよなんて笑ってましたけど、本当に10万分の1と1000分の1が一緒にいるとイオンとか行くと妻の肩を僕が借りて、妻は右手は娘の手を引いてっていうと、妻はちょっと私倍疲れるわって言いながらやってくれてますけども本当に感謝しております。
この動画撮ってくれたのは妻なんですが、お正月に下呂のほうに旅行に行きました。
ちょうど10ヶ月ぐらいの時です目が悪くなって。家族のみんなが今までずっと腫れ者にさわるかのように、私にあまり気も使わず、その話題にも触れず、パパどうしようっていう感じで見守っていたのですが、1年もしてくると温泉に行こうということになって、下呂の温泉に行きました。
そこで卓球台がありました。子どもたちがやりたいと言ったのでやれやれって言って、私は座って見てようと思ったら長男がパパも一緒にやるんだよって。やれるわけでいいじゃん、こんなちっちゃいラケットで。フライパンぐらい持ってきてくれよって言ったらやるんだよって。何でも挑戦しなきゃダメだって長男が言うんですね。
諦めた時点でそれは試合終了だと。やらなきゃっていうことで。実はあれ当たるまでに40分かかりました。40分ずっと振ってました。
僕の相手が長男で、長男の背中から妻が携帯で撮ってくれてたんですが、私の後ろには4番目の4月から高校1年生になる娘がダブルスでやってくれました。やってるうちにおでこに当たるわ、おでこに当たるわ、腕に当たるわでもうイライラして難しいなと思ってたんですけど、最後40分たった時にコンコン、コンコンという音でカチーンと当たったんです。
諦めずに良かったって、やってみることってすごいなと。それからですかね私、Facebookとかでやれたことを諦める悔しさよりやってみる挑戦ですね、やってみる楽しさをということで下手くそでもいい、うまくできなくてもいいから何でも挑戦しようって、そのきっかけにさせてくれた家族の応援でした。これがなかったら、今いろんなことに挑戦できてなかったかもしれないです。
これは本当に私の宝物の映像の一つです。
これもブツブツに妻が撮った映像を、当時中学1年生の娘がiPadでいってQみたいに編集してあげるよって、途中でスロー入れたり、BGMかけたりして作ってくれました。本当にこれは宝ですね。

「すみませんじゃなくて、ありがとうっていいんだよ。今まで言ってこなかったから、もっと言えばよいよ。」―辻本輝樹

これは私の幼馴染で同級生で伊吹さんと同じような業種の私の大親友です。
彼が私の身の回りの保険だとか、会社のことをやってくれてましたので、私がこうなったときに、本当に寄り添って、週に2,3回、お茶をしたり、昔話、馬鹿な話をしたり、いろんな話をしてくれました。
そんなときに彼が私の会社の前で車から下ろすときに会社の目の前なんですけど、入り口まで歩けなかったんですね。
そんなときに彼が私の手を引いて玄関まで連れてってくれたときに彼も涙を流してポロポロ、お前のそんな姿見るとはな、なんて言って車に戻っていきました。次に会ったときに俺さ今、いろんな人にすいません、すいません、いろんなことをしまって、ありがとう、ありがとうって言ってんだよねっていう話をしたら、彼が言ったんです。馬鹿野郎、お前、今まで言ってこなかったんだから、もっとみんなにありがとう、ありがとうって言えばいいんだよって。えーって思ってたんですね。今まで言ってこなかったっていうのは、僕が今まで不義理にしてきたかのかなと、人に何かをしてもらったときにありがとうって言えてなかったってことをこいつが指摘してくれたのかなと思ったんです。そうか、俺ありがとうと言ってこなかったかなって言ったら、違うぞ、今まで遠藤がいろんな人にしてきただろう、してきていろんなことをしてきたから、これからお前がいろんな人に人にしてもらって、すみませんじゃなくてありがとうって言えば、それでいいんじゃないかっていいことでした。なんだ、そういう意味かって。これからすみませんじゃない、人に何かしてもらったらありがとうって言え。もっともっとありがとう、ありがとうって、甘えればいいんだって、そいつが言ってくれました。今までお前が友達とか何かにしてきたことを、これからは甘えてしてもらえばいいんじゃないかって。救われました。ちょうど目が悪くなって何かしてもらうのも僕は自分でいつも言ってるんですけど、これも次男が言ってくれた言葉ですが、私は不自由ではないです。不便なだけですって。不自由な人じゃない。そんなふうに思いたい。不便なんです。コンビニでおにぎり1個買えません。ATMでお金を下せないんですよ。
だから私の秘書は暗証番号全部知ってるんで、そいつが辞めたときは全部変えなきゃいけないんですけど。1,000円1枚下すのも人の手を借りなきゃいけない。
おにぎり買うのもそうです。どこのレストラン行って注文するのも人の力を借りなきゃいけないんです。なんで僕は不自由だって思いたくないんで、不便だって思ってます。そんなことしてもらって常にすみません、すみませんって思ってたんですが、ありがとうだと。ありがとうって思おうって、そのときに教えてもらった救われた言葉です。

「人間、欲さえ出さなければ人生楽しくなるよ、上見てもキリがないし、下見てもキリがないよ。」―山北耕三

この方はこの中にもお知り合いの方いらっしゃるかもしれないですけど、ムータというアパレルブランドの社長で、山北先輩なんですがお仕事上、私も長い間お付き合いをいただいてますので、目が悪くなって最初の夏を迎えるときに山北先輩のところにご挨拶に行きました。
そうか、遠藤くん噂で聞いてるぞ。Facebookを見たよって、今お前つらいか。辛いですね。何がしたい?いやー、車好きだったんで車の運転したいですね。あと、野球とか見たいですね。テレビで。って言ったらそうだろ、車がブーンと通るといい音するだろと言われてはいって言ったら、それ運転したいって思うから、つらいんだぞ。そういう欲を捨ててみろ。できたことがなんでできないんだって思うからつらいんだぞ。一回全部欲を捨てろ。運転したい、テレビ見たい。どこどこに行きたいっていうのを一回全部捨ててごらん。楽になるぞって。そっかそれって全て欲なんだなって思わせていただける言葉でした。人はみんな誰々みたいに金持ちになりたいとか、会社を大きくしたいとか、そういう欲があるから苦しいんだぞ。もっと楽になれって言われました。そっか上見てもキリないし、下見てもキリない。
お前よりもっとひどい障害の人はもっといるぞ。そうですねって。そんなこと考えたら、その日からもっと気が楽になりました。そうだ俺車運転したいなって思うから、もう運転しなくてラッキーだ、年中酒が飲めると思えばいいんだって思ったら、とっても気が楽になりました。
だから私目が悪くなってから大好きだったんですけど、ずっと時計とかしてたんですが、時計も今してないですし、アクセサリーも何もしてないです。
服もそんないいものじゃなくても、かっこ悪くなければいいかって。着心地がいいところだけこだわってますが。欲がないってそういうことなのかなって。でも皆さん友情と愛情って例えばあるとするじゃないですか。
極端な話ですよ。こういう会だから許されるかもしれませんが、許されないかもしれませんが、愛情ってお金で買おうと思ったら昔から若い頃からですが、恋愛ってたくさんプレゼント攻撃をするとか、何かしたら振り向いてくれるかもしれない。愛情は。だけど友情ってお金で買えないじゃないですか。何か友達にしてあげたから振り向いてくれるわけじゃないし、助けられるわけでも支えられるわけでもない。やはり、そこにはその瞬間、瞬間にはできない長い年月をかけて、本当の親友とか支える友達ってできると思うんですね。
そんな言葉で私はいろんなことがぐるぐるぐるっと、そうか、上見てもキリない、下見てもキリない。
ああなりたい、こうなりたいっていうのも、もう追っかけるのやめようと。だから、自分がつらいし、もどかしいんだ。テレビ見れなくなるだけで、めちゃくちゃストレスなんですよ。
ニュースが流れる、特にコロナ、戦争のときに字幕がたぶんいっぱい出てると思うんですけど、英語の言葉が全部ザーッと出るんですけど、あと大谷さんのときに監督のインタビューとか日本語訳がほぼないんです。NHK以外。
そうすると何言ってんのかわかんないし、テレビでピンポンピンポンと言って地震が起きましたとかっていう字幕テロップも読めないんで、子どもたちに何が出たか教えてもらわないとわからないんです。
だから本当にそういうストレスが本当にありました。だけど、もう見えなくて当たり前だ。見なくていいんだって思えると、ちょっとすっと気が楽になったんです。

「高いか安いかも大切だけど、誰に頼みたいかなんだよね。」―山城徹也

これは私の尊敬してやまない先輩の一人ですけども、7月8月ぐらいですかね、夏だったと思います。目が悪くなった最初の。そのときに山城先輩に仕事の相談があるからちょっと来てくれって言われて、会社に行ったときにテレビCMを今年こんな暗い世の中だからちょっとやろうと思うけど、相談乗ってよって言われて、ありがとうございますと。ちょっと他社からもいろいろ来てるから遠ちゃんのところ頑張ってねって言われたんで、はい、精一杯頑張りますということで、CMの映像を作るほうから、流すほうまでいろいろ提案をさせていただきました。
それで、いざうちで決定していただいてCMの撮影のほうですね、私も見えない中現場にいました。山城さんもいらっしゃって。
本来ならば、うちの社員がいろいろな映像会社のお手伝いをしたりしてるんで、私はせめていつもなら弁当を配ったりとかお茶を並べたりってお手伝いするんですが、そんなこともできないんで、ただ立ってるだけだったんですね。
無理に動いてお茶こぼしたりしてもいけないんで。そこで山城さんがいいよ、俺やるよって言って弁当を配ったり、クライアントの社長、座っててくださいって言ってもやられてました。二人で立ち話でいろんな会社があったと思ったんですけど、私に選んでいただいて本当にうれしかったですって話をしたら、遠ちゃんね、仕事は高いか安いかじゃない、誰に頼みたいかだよって。俺はお前に頼みたかったんだって、目見えなくなっても歯食いしばって頑張ってるお前に頼みたかったんだって言ってくれたんですね。
高いか安いかじゃないんだって。決してうちが高いわけじゃないんですよ笑。これ言うと、なんかうちが高いみたいなんですけど、高いわけじゃないです。頑張っていい見積り出したんです。一つの例えです。
高いか安いかじゃないけど、お前に頼みたかったんだって言われたときに、僕はこういう頼まれたいと思われる人間になろうって思いました。
たとえ目が不自由で不便でも、みんなからお前に頼みたいんだよって言われるような人間になろうと思いました。
コロナ禍にもそう言って、助けてくださる方、たくさんいらっしゃいますけども、本当にいつまでも私はそういう人間でいたいなとお前に頼みたいんだよ。お前にやってほしいんだよって言われる人間でいようって、そのためには何を磨けばいいんだろうっていうことを、そこから考えております。
一つのエピソードとしてこれもありますが、山城さんっていう方が本当にいつも強面で変なことばかり言ってますけども、いざ僕がこうなったときに、うちの会社にふらっと来て、Facebookに僕が目が見えなくなりますんで皆さん街ですれちがってもご挨拶できませんって書いたときに、コメントを沢山いただいたんですけど、山城さんがなかったんでおかしいな、寂しいなと思ってたら、会社にふらっと来てありがとうございますって言ってたら、山城さんFacebookにコメントくれませんでしたねって言ったら、そんなのお前一言で書き表せないだろう。書けないよって。会って話したかったんだって言って、うちの会社に2時間一緒に泣いてくれました。
僕は泣いている姿って正直見えないんですが、シクシクシクシクポタポタポタポタ涙を拭く姿、想像できるぐらい一緒に泣いてくれました。自分がこうなって思うのは、たまには泣くっていいですね。
心の汗だって言いますけども、そうすると悔しいとか悲しいとかっていう気持ちが一時はスッとなりますから、男でも悔しい時、悲しい時は泣けばいいんだってみんなに言ってます。
本当にその時にはありがたい言葉をいっぱいいっぱい教えていただけて、本当に感謝しております。

「まだ5キロじゃなくてあと5キロしか走れないんだよ。」―西村和則

これも私が35歳の時に出会って、JCで。なんて言うんでしょう。まあよく人に紹介するときは私の昼と夜の師匠ですって言うんですけど、本当にその方から多くの方をことを学んでおります。私が目が見えなくなってから去年と今年なんですが、石垣島マラソン10キロですけども一緒に伴奏して走ってくれました。
もともと私は40歳から10キロマラソンという沖縄のマラソンに、ちょうど中日がキャンプやってる2月にあるので、それに合わせてキャンプ見て、マラソン10キロぐらい走って、そのあとオリオンビール飲んでっていうのを毎年やってました。
48で見えなくなって、コロナでちょうどいろんなマラソン大会が中止になったときに去年からいろんなマラソンが復活しました。
西村先輩が遠ちゃん走ろうよって言うんですね。いやいや、無理ですよ。さすがに僕も体力的にももう見えてない中、走るなんてちょっと考えられないですって言ったら、何言ってんの、諦めないんだろう本当に。そんなこと言ってちゃダメだ。俺が伴走してやるから。本当ですかっていうことで申し込みました。今年で2回目走りました。
西村さんがここに伴走者というゼッケンをつけて、僕は障害者とかゼッケンつけるのかなと思ったら私普通のゼッケン番号いただけます。チップもついてます。記録は私出ます。
でも伴走者はあくまでも陰の人なんで、伴走者っていうゼッケンをつけて、周りの人が危なくないように西村さんはチップはついてません。
あの人は新聞とかに載る記録でも名前がない人になります。
それでも10キロ、笑顔で走ってくれます。走ってるときに、もうつらくてつらくて6キロ、7キロとか行くと、看板に1キロごとに6キロ7キロって地点の看板があるんです。
私の友達5・6人が一緒に、今日もここに参加されてる石塚さんも一緒に走ってくれたんですが、遠ちゃんあと5キロ、えんちゃんあと6キロって言ったときに、えっまだ5キロ、あと5キロもあるのって言ったときに、その伴走の西村さんが言った言葉が、あと5キロじゃない。あと5キロしかないんだぞって、お前、練習してきたんだろう。楽しめ。って、あと5キロしかないんだ。楽しむんだって言ってくれたんです。ああ、この方はこういう生き方、こういう人生してきたんだ。あと5キロもあるじゃなくて、あと5キロしかないっていう仕事の仕方、人生の仕方だったのかなと思ったんですね。そうですね、僕、頑張って練習してきました。あと5キロしかないんだ、6キロ地点、あと4キロしかない。7キロ地点、あと3キロしかないって言いながら走りました。
最後の9キロぐらいでもう本当に足が上がらなくて、今年はもう雨降ってたんで、もうつらかったです。
そしたらそこでまた西村さんが僕の腰をだんだんつらくなっていくと、前傾姿勢になるんで、より疲れるのでグーッと押されるんですよ。またまっすぐ走るようになると肩たたいてお前毎日楽しいだろ。1年に1回ぐらい苦しいのを乗り越えようぜって言うんですよ。
かっこいいこと言いますよね、本当に。最後の9キロから10キロまで走り切ることができました。
本当に言葉の力って素晴らしいなと思うんですね。多分無言で走ってたら僕は最後の9.5キロぐらいからゴールまで歩いたと思います。後ほど今から映像出ますけどもフラフラでした。
でもゴールすると本当に達成感ってあるんですよ。人間諦めちゃだめです。投げ出しちゃだめです。どんなつらいことでも乗り越えれます。私はいつもこういう経営者の方が多いところに行ってるんですが、資金繰りがとか、売上げがとか、社員が辞めるとかつらいなとか悩んでるっていう人と出会うと、半日アイマスクして生活してくださいって、それができたら3日間、目つぶって生活してみてくださいって、そんな全然つらくないですよ。世の中のことは大抵、お金か時間で解決できます。目見えないのは解決できないですよって言ってます。大抵のことは、世の中、お金か時間か何かで解決できるんです。それ以上悩んでも悔やんでも、割れた茶碗は戻りませんし、吐いた唾は飲めないです。でも目をつぶって半日一日生活したら自分の世の中だって、トイレやお風呂、食事、食べるのって不便ですよ。
もしそんな時が来たら思い出してください。私を。鼻から舌は元気ですって今キャッチコピーのように言ってますが、本当に目以外は元気に皆さんと変わらないようにやろうと毎日頑張るっていうことは、僕はあんまり頑張りようがないんで好きじゃないんですけれども楽しんでます。

最後です。皆さん、今日はご清聴ありがとうございました。
少しだけ目を閉じていただけますか。
光がない中で私の感じを想像しながら少しだけ聞いてください。今日もしも今日の帰りに交通事故に遭いました。
病気で倒れました。明日から車椅子です。松葉杖です。そんな時に病院に車椅子を押してくれる人、皆さんの近くにいますか。
代わりに病院の受付してくれる人いますか、車で送り迎えしてくれる人いますか。
ここにご飯あるよ、こっちトイレ、こっちお風呂、教えてくれる人いますか。
おい、たまには飲みに行こうぜってそんな仲間いますか。
たまに錦で会って、遠藤ってハグしてくれるような友達いますか。そんな仲間作りできてますか。
人付き合いできてますか。友達との約束、今度ご飯食べに行こう飲みに行こうって言ってずっと先延ばしにしてませんか。
人間いつ何があるかわかりません。先送りにせず、サムデイス イズ デイ。いつかは今日で、毎日毎日を大切に生きて生きてますか。
私は今、自分が48歳でこうなってそんなことを改心し心がけております。
ぜひ皆さんがそんなことが起きないためにも、健康で毎日楽しく、楽しく、楽しく、真面目に楽しく元気よく生きていければいいなと思っております。

今日はご清聴ありがとうございました。

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