第185回例会
2024年8月1日開会
通算185回
ネット例会報告
開催日
2024/8/1
※例会開催日はです。
開会点鐘・歌の斉唱
君が代
四つのテスト
会長挨拶
皆さん、こんにちは。
今日の卓話の時間は青少年交換帰国生の奥田紘也さん、牧野ななみさんに帰国報告、派遣候補生の大谷やえさんに出発のご挨拶をしていただきます。
この交換留学について説明をさせていただきたいと思います。この交換留学はロータリー全体が行っている青少年の成長を願って非常に重要な事業の一つでございます。この交換留学の費用に関しては基本皆さんからいただいている会費の一部が地区の方に支払われて、その資金で行われております。ここにいる皆さんは交換留学に全員が関わっているということになりますので、胸を張って私たちも援助しているよと言っていただいて間違いないと思います。
帰国生のお二人から貴重な1年間のご報告をいただくんですけれども、私は高校時代に胸を張って何かしたと言えるかなと考えてみたんです。私は高校時代、部活だけは真面目にやっていたんですね。
こんな体型なので、ラグビーとか柔道をやっていたのではとよく言われるんですが、私は今大変盛り上がっているバスケットをずっとやっておりました。私がバスケットを始めたのが小学校5年生の頃です。
今でこそバスケット部って非常にメジャーで、どこにでもあると思うんですけれど、まだその頃は今ほどメジャーじゃなかったので、私の小学校には女子バスケはあったんですが、男子のバスケットボールはありませんでした。でもやりたいなという思いがあったので、先生に相談したら、じゃあ5人集めたら部活動として認めてあげるよと言われて、当時全部で4クラス程を回って、一緒にバスケやらないかと声をかけて、設立したときに8人ぐらい集まった覚えがあります。それで部として認めてもらい、小学校5年生のときにバスケットを始めてそこから中学校もずっとバスケをやっていました。高校は当時公立で千種高校がバスケットが強くて、どうしても千種高校に行きたかったんです。ただご存知の方がいるかもしれないですが、私がいた頃は運制度があり、受かってもどっちの高校に行くか分からない制度がありました。私と一緒に中学校でバスケやってた人間は2人ぐらい千種高校に行けたんですけれども、私は違う高校になりまして、そちらの高校は弱小チームだったんですね。ただ弱小チームではあったんですけど、みんな先輩たちもすごく真剣にバスケットに取り組んでて、私も本当は行きたかった高校とは違ったんですけど、何とかこのチームで強くなれないかなと思って朝練に行って、終わった後もずっとバスケを真剣に高校時代取り組んでました。一応大学からバスケットの推薦も1校だけもらったんです。ただ私、身長181センチで、高校時代までだと181センチだと日本では一番背の高いポジションなんです。そうするとバスケットのゴールの下でボールをもらって振り向いて打つだけというようなポジションで、基本ドリブルをつくと相手にゴール下で取られるんで、そのポジションの人はあんまりドリブルをつくなっていうどちらかというとそういうポジションなんです。ただ大学に体育会でちゃんと行こうと思うと、私の身長だと一番背の小さいポジション。高校時代ずっとドリブルをついてなかったんで、大学ではちょっと厳しいなっていうのと、やっぱりちょっと東京の大学で遊びたいなっていうのがあって、大学はバスケをやりませんでした。大学時代の私はちょっとここでは割愛したほうがいいかなと思いますので、興味がある方は夜の懇親会とかで聞いていただければ詳しくお話させていただきますけれども。その後社会人になるんですけれども、最初就職した会社が今のみずほ銀行という当時の富士銀行の子会社に就職しまして、そこは会社が認めた部活動がいくつかあって、部活動と認められると活動費だったり、ユニフォーム代だったりに会社からお金が出る。そこでもまたバスケ部がなかったんで、ここでも私バスケット部を作りまして、最終的にその会社は辞めたんですけれども、今でもたぶんそのバスケット部っていうのはその会社には残っているみたいで非常によかったなと。その後も社会人のチームに入らせてもらっていましたが、一生やり続けるのはちょっとしんどいスポーツで、35歳くらいでバスケはやめてしまいました。そこから何を言いたかったかというと、宮の杜に今いくつかの同好会があります。ゴルフだったり、野球部だったり、釣り同好会。アイスホッケーなんかもありますね。いくつかはあるんですけど、まだまだ少ないと思います。ロータリーって卒業がないので、ぜひ自分の趣味でこのメンバーの中でもし同じ趣味があったらこんな同好会あったらいいなということでしたら、ぜひご自身で声掛けして作ってみてはどうかと思います。作り方としては、牧野幹事に言っていただければお手伝いさせていただきます。そんなに難しくないです。申込書みたいなのを書いていただいて、年会費を集めるであれば規約が必要なんですけど、そうでなければ特に規約とかが必要なわけではなくて、条件としては会員の全員を対象にするということと、アナウンスするというぐらいです。今ある同好会じゃなくてもっとこんなのあったらいいな、この活動をぜひみんなと一緒にやりたいなというものがあれば、誰か手を挙げていただいて、どんどん同好会が増えることによって親睦も深まると思いますので、積極的に同好会を設立していただければと思います。
幹事報告
●8月ロータリーレート 1$=154円
●前回例会でPRがあった地区大会についてですが、11/9(土)は名古屋観光ホテル、11/10(日)名古屋国際会議場にて開催されます。
本日例会後に出欠確認をメールなどでさせて頂きます。すみやかにご回答頂きますようお願い致します。
●8/29(木)にIDMが開催されます。場所はコンセプトエフブンノイチ、時間は18:00~19:00、19:00からは懇親会を予定しております。
ロータリーについてクイズ形式で学ぼうと考えております。皆様、ぜひご参加下さい。こちらも近日中に出欠確認を配信致します。
●先ほど、太田青少年奉仕委員長からもご案内がありましたが、8/17(土)の7:35発の飛行機でやえさんがアメリカへ出発されます。
また、8/20(火)の21:05着の飛行機でケンジくんが来日します。お時間のある方はぜひ、お見送りとお迎えに来て下さい。宜しくお願い致します。
●7月中旬頃に上期会費の請求書を送付しております。未対応の方は8月末までにご対応頂きますようお願い致します。
●名古屋宮の杜ロータリークラブのクールビズについて詳細をご連絡をさせて頂きます。
・ジャケット着用
・Tシャツ 不可
・襟付きシャツ 可
・スニーカー 可 ※ただし、華美なものは不可
●次回例会は8/22(木)12:10~13:30@若宮の杜迎賓館となります。
例会前11:00から第2回定例理事会が開催されます。
会場などお間違えのないよう、よろしくお願い致します。
委員会報告
出席委員会 上田孝司委員より
・出席率(出席免除者3名含む) (今回) 第185回例会(8/1) 当日出席率:/51名 66.23% (前回) 第184回例会(7/18) 当日出席率:45/76名 100% 太田啓介より 浅野会長7/24お誕生日おめでとうございます。 昨日の会議にてアドバイスありがとうございました。 今後共よろしくお願い致します。 不破直行より ひろやくん、ななみちゃん、やえちゃん 今日はよろしくお願いします。 牧野敬充より 奥田紘也くん、牧野ななみさん、1年間お疲れ様でした。 大谷やえさん、1年間がんばってきて下さい。 高橋勝之より 近藤さん、入会おめでとうございます。 加藤謙一より 近藤徹ちゃん、ようこそ。 前回例会欠席ゴメンナサイ。 出口茂、堀場和孝より 第185回例会を祝して
太田啓介青少年奉仕委員長
7月28日、今年度アメリカから来日予定のケンジ君とZoomでミーティングを行いました。参加メンバーは山邊カウンセラーと奥様、息子さん。息子さんは留学経験がありまして英語が喋れるので、私も田村さんも英語が上手ではないので通訳をしていただき、Zoomミーティングでお話をしました。日本語が全く喋れないのでこれから覚えることが大事だなと感じました。サッカーが見るのもするのも好きということでした。好きなチームはレアルマドリードです。7月31日に第1回青少年奉仕委員会をカフェボールさんで開催いたしました。浅野会長、牧野幹事、堀場副会長、不破社会奉仕委員長、山本親睦委員長と青少年奉仕委員会のメンバーで皆さんと新しい事業に対する活発な意見とアドバイスをいただき、大変意義がある会議になりました。8月8日、市邨高校にてケンジ君の担任の先生と学校生活の準備に関してミーティングを予定しております。
今日来ていただいている大谷やえさんが8月17日AM7時35分にセントレアから出発されますので、皆さんお見送りの方、よろしくお願いいたします。8月20日PM9時05分にセントレアにケンジ君が来日します。こちらもお迎えに行きますのでご参加の方、よろしくお願いいたします。
なお、8月22日と9月5日にケンジ君が例会に参加する予定ですので、会員の皆様の子供のように笑顔で話しかけてあげてください。よろしくお願いいたします。
近藤大輔米山奨学委員
奨学金贈呈式
キムさん挨拶
皆さん、こんにちは。8月1日ということで、もう真夏に入りましたね。7月から本当に暑くて38度まで上がったらしいです。友達が今遠くに住んでますけど、40度まで上がったところもあるらしいので、熱中症などに気をつけて頂きたいです。今月はそんなに面白いことがなかったです。ロータリーの留学生同士で懇親会をやりました。ピラフやカリカリチキンを提供していただいて美味しく食べました。国ごとの有名な場所や食べ物を当てるゲームしながら、自己紹介も兼ねて楽しい時間を過ごしました。次に研究室のことを言いますと、やっと半期が終わりました。大学院は今1年生です。入る前には大学院って授業があまりないので学部に比べてちょっとゆるいなって思っていました。でも課題を出そうとしたらガチガチで出せないところでした。ほぼ2日間、夜更かしして3、4個ぐらい一気に出しました。計画的に行かなきゃしんどいなと思いました。個人的には今最近やっているバイト先で、週に1回程度、発表や活動をやっています。今回行った活動としては、自分が何をしたいか、それをするために何をすればいいかを調べるものがありました。自分は情報科学科ですので開発者としてどうやって生き残るかに関して考えてみました。結論としては、お金も生きるには大事かなと思いますが、それよりも自分が楽しいことをやるのが一番大事じゃないかなと思いました。今日は以上とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
その他
~入会式~
近藤 徹氏 ↓
~卓話~
帰国報告
奥田 紘也氏
この度は名古屋宮の杜ロータリークラブ8月第1回の例会にご招待頂きましてありがとうございます。昨年9月よりイタリアに派遣して頂いた奥田紘也です。本日は帰国した6月中旬までの約9か月半に及ぶ僕の留学生活に皆様にお話しさせて頂きます。是非最後までお聴き頂けると幸いです。宜しくお願い申し上げます。
さて、僕が暮らしていたのは北イタリアのブレシアというミラノから車もしくは電車で1時間程度の場所です。地下鉄やバス等の公共交通機関も充実した街でした。
ミラノの空港の出迎えには第1ホストファミリーのホストマザー、ホストブラザー、その付き添いでホストマザーのご両親、ホストブラザーのお友達が来てくれました。
普段一緒に暮らしていたのはホストマザーとホストブラザーです。
ホストマザーは気配りで温厚な人でした。
常に僕のことを気にかけてくれて、ホストチェンジ後もよく連絡を取り合う仲でした。たまに学校終わりに昼食を食べに行ったり、5月にはヴェネツィアやローマにも連れて行ってくれたりしました。本当に感謝です。クリスマスや年末年始も第1ホストファミリーとともに別荘で過ごしました。そこでのひとときは一生忘れないであろう特別なものでした。
4か月間お世話になり、年明け1週間程度経った頃に最初のホストチェンジをしました。第2ホストファミリーの家族構成はホストファザーホストブラザー2人といった感じです。ここの家族は皆それぞれ忙しく家に帰っても皆とすぐに顔を合わせるとは少なかったように感じます。そのため家族とコミュニケーションをとる時間も比較的限られており、知らず知らずのうちに心のすれ違いというか、意思疎通がうまくいかないといったことがよく起きました。今思えばもっと自分から積極的にコミュニケーションをとろうとするべきでしたが、当時僕としても言語の壁にぶち当たり、多少閉鎖的になってしまっていたので結果的にそれがまた負の連鎖のようなものを生んでしまったように思います。
しかし当然第2ホストファミリーにも本当にお世話になったと感じていて、例えば大型連休の際は山にスキーへ行ってそこで沢山教わり、全然できなかったスキーがある程度上達しました。第2ホストファミリーには3か月間お世話になり、2度目のホストチェンジを経て最後のホストファミリーと帰国までの間過ごしました。家族構成はホストファザー、ホストマザー、ホストブラザーの計3人でした。ホストブラザーは自分よりも年上でしたが、とても親しくなりました。僕と暮らす中で日本のことについても興味を持ってくれてとても嬉しかったです。ホストマザーは割とおしゃべりな人で、一方ホストファザーは割と無口な人でした。ホストマザーからはしょうもないことでときどき叱られたりもしましたが2人ともとても愛をもって接してくれました。帰国の際には空港まで見送ってもらいましたが、僕もホストマザーも互いに涙を流して、感動的な別れだったことを記憶しています。
ここまで、お世話になった3つのホストファミリーの紹介を軸に僕のイタリアでの留学生活を振り返って参りましたが、ここからは先ほども少し触れた、辛かったことについてお話ししようと思います。僕の留学生活において主な辛かったこととしては言語の面での苦労がまず頭に浮かびます。イタリアでの日常生活において使われるのは現地語のイタリア語ですが、その上達があまりうまくいかなかった時期があります。
それが1度目のホストチェンジ後でした。自分自身何をどうしたら上手く話せるようになるのか分からなくなって行き詰まっていました。当時は学校の友達や他の留学生との会話は英語でしたが、そこでも自分の英語力の無さを痛感する場面が多くあり非常に悩んだことを覚えています。でもここで悩み、自分に向き合ったことこそがとても大切なことだったと感じており、イタリアへ行く前の、目の前にある困難や自分の弱さに向き合うことから逃げていた自分から一歩成長できたと感じます。最終的には自分でコツコツと努力する他に道はないと気づき、少しずつ英語もイタリア語も上達していきました。それによって学校の友達や他の留学生との絆もより一層深まったように思います。
いずれにせよ楽しいことも辛いこともあった9か月半でしたが、振り返れば全てが僕の人生の宝物ですし、こうした貴重な経験ができたのもこのプログラムのおかげです。そしてこれまで育ててくれた両親の存在、この会場にいらっしゃるスポンサークラブの宮の杜の方々をはじめとする関係者の方々、イタリアで僕に対して親切にしてくれた全ての人々に心より感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。これで僕の帰国報告を終わります。ご清聴ありがとうございました。
帰国報告(奥田紘也)
牧野 ななみ氏
こんにちは。7月5日にアメリカから帰国した牧野ななみです。まずは、このような会にお招きいただきありがとうございます。そして、留学中の1年間ご支援、本当にありがとうございました。今日は私のアメリカでの経験や感じたことをみんなに紹介できたらいいなと思います。最初に私が留学していたアメリカのミズーリ州ブランソンについて紹介します。ミズーリ州はアメリカの内陸部に位置していて、その中でも私が住んでいたブランソンは一番南に位置していました。ブランソンはものすごく田舎ですが、観光地として私の州では有名で、夏休みなどの長期休暇にはたくさんの人たちがブランソンに遊びに来ます。この写真のような面白い建物がたくさんありました。
次に、お世話になったホストファミリーを紹介します。私は留学中の1年間で3つのホストファミリーにお世話になりました。ファーストホストファミリーは3人家族で、2歳の息子が1人いました。とても賑やかな家族で、毎週のように家でパーティーを開いていました。庭は公園のように広く、プールがあったり、トランポリン、ブランコなど、THE・アメリカって感じの家でした。ホストファザーは保険の代理店と副業でピザ屋をやっていたので、週5でピザを食べるときがありピザが本当に飽きました。ホストマザーは、元小学校の先生だったのですごく優しく英語の勉強を手伝ってくれました。ホストブラザーは2歳でまだ喋ることはできなかったけど、毎日庭で遊んだりし、ものすごく仲良くなることができました。正直、ファーストホストファミリーとは最初の1ヶ月の方はうまくいかなくて体調が悪いのに学校に無理やり連れて行かされたり、送迎してくれなかったりなどうまくいかなかったこともあったけど、話し合いをし最終的にはホストファミリーが変わって遊ぶ仲になれたので良かったです。
次はセカンドホストファミリーです。セカンドホストファミリーは83歳のおばあちゃん1人でした。家はアパートだったので正直めちゃくちゃ狭かったけど、ホストマザーはものすごく良い人でした。
毎週どこかに連れて行ってくれたり、旅行に連れて行ってくれたりしました。
クリスマスから新年にはホストマザーの娘や孫が遊びに来てくれて、にぎやかな休日を過ごせました。孫たちはみんな大の日本好きで、一緒にアニメを見たり話ができて、すごく仲良くなりました。この家で大変だったことは食で、ホストマザーがベジタリアンだったので、家ではお肉が出なかったり、出たとしても冷凍食品ですごく辛かったです。旅行では、カンザスシティというミズーリ州で一番大きい街に行きました。カンザスシティでは大きい市場や有名な美術館、そしてアジアンマーケットに連れて行ってくれました。カンザスシティで一番有名なのは、チーフスというフットボールチームです。アメリカで一番盛り上がっているスポーツはフットボールで、チーフスは何度も大会で優勝しています。カンザスシティは街全体がチーフスの装束でいっぱいでした。
最後にサードホストファミリーです。サードホストファミリーは二人暮らしで、二人とも80歳近くのおじいちゃんおばあちゃんでした。家は三つの中で一番大きく、家に図書館や卓球台、ヨガスペースがあり、家を一周するだけでも5分くらいかかりそうなレベルでした。サードホストファミリーはおじいちゃん、おばあちゃんだったけど、仕事をものすごく一生懸命やっている人たちで、平日も休日も家にいなかったりして、一人の時間がものすごく多かったです。だけど、ご飯のときには三人ちゃんと集まってお話ししながら食べるという家だったので、いろんなお話をホストファミリーとできたのでよかったです。
次は私が一年通っていたブランソン高校について紹介します。ブランソン高校は比較的人数の多い高校でした。日本とは違い、グラウンドがものすごく大きかったり、何より駐車場がものすごく大きかったです。写真の左下がカフェテリアで、毎日昼ご飯を食べていました。右の写真はブランソンハイスクールのグラウンドです。アメリカの高校と日本の高校では授業スタイルなどが大きく違ったので、皆さんに私がアメリカの高校に通っていたときの学校のルーティンを紹介したいと思います。まず、私が通っていた高校は、7時半に1時間目がスタートだったので、5時40分ごろに毎日起きていました。そして学校には毎日スクールバスで行きました。1限目はウォーキングクラスからスタートで、この体育館を毎日30分歩くという授業でした。一見退屈そうだけど、お友達と喋りながら歩いたりできたので、私のお気に入りの授業の一つでした。2限、3限はファッションデザインとインテリアデザインでした。ファッションデザインでは、服のデザインや帽子をミシンで作ったりし、インテリアデザインでは家をデザインしたり、家具の配置をウェブデザインしたり、日本の高校ではできないような授業を受けることができました。4限は自習で、その後にランチでした。私は毎日スクールランチをとっていました。スクールランチではピザやサンドイッチ、チキンなどがよく出ました。だけど、正直なことを言うとものすごくおいしくなかったです。日本の学食は素晴らしいのと気づくことができました。5限目は英語の授業で、6限目は陶芸の授業でした。陶芸のクラスルームはすごくオシャレな教室で、日本の高校では見られないようなクラスルームでした。陶芸では、粘土を作って手でお皿を作ったり、コップなどを作りました。これはドクロを作ったときの写真です。7限は心理学をとり、8限目はクッキングでした。クッキングクラスは私の一番のお気に入りのクラスで、メキシコ料理やピザなどを作り食べることができました。グループワークだったので、友達も比較的作りやすくすごく楽しかったです。そして、学校が終わったら部活動がありました。アメリカの部活はシーズン制だったので、私は夏のシーズンのテニス部に所属しました。テニス部では、チームの3番手になることができたので、団体戦のレギュラーとしてたくさん試合に出ることができました。個人戦では、金メダル、銅メダルなど合計3個のメダルをもらうことができ、すごくいい経験ができたなと感じました。テニス部に入ってもう一つ良かったと感じたことは友達です。テニス部のみんなはすごく優しくて親切な人たちばかりでした。誕生日の時はサプライズで誕生日パーティーに来てくれたりしました。ものすごく楽しかったです。次にアメリカのロータリー6080地区での活動について紹介します。アメリカのオリエンテーションは合計4回あり、10人の留学生がいました。フランスやスペイン、ドイツなど合計9カ国の子たちが集まりました。オリエンテーションでは、川遊びをしたり、ハロウィンにはカボチャのカタヌキなど様々なアクティビティをすることができました。オリエンテーション以外にも、みんなで野球観戦に行ったり、遊園地に行ったりなど、みんなと仲を深めることができました。4回あったオリエンテーションの中でも、特に楽しかったオリエンテーションは、ロータリーの大きな会食でした。その会食では100人以上の留学生が集まり、たくさんの日本人に会うことができたし、色々な国の留学生ともお話をすることができました。そして次はロータリーからのアメリカ東海岸旅行についてです。東海岸旅行は、ボストンからニューヨーク、ワシントン、ノースカロライナを通って最後にフロリダに行きました。ニューヨークでは、自由の女神やタイムズスクエアなどアメリカで有名な観光地を回り、ワシントンでは戦争の記念館などたくさん学ぶことができました。フロリダではディズニーワールドとユニバーサルスタジオを3日間も満喫することができました。この旅行の2週間はすごい濃い2週間で、たくさんの国の人たちと出会い色々な貴重な経験ができました。
最後に私の感じた日本とアメリカの文化の違いについて紹介したいと思います。私が主に感じた文化の違いは3つです。1つ目はハロウィンやクリスマスの過ごし方です。特にハロウィンは日本と大きく違い、学校にもみんな仮装をしてきていて、ホストファミリーも仕事を休んでハロウィンの準備をしていました。夜には近所の子どもたちがお菓子をもらいに来るなど、本場のアメリカの行事に参加することができて楽しかったです。2つ目は公共のトイレや道などの衛生さです。特にトイレは想像した以上に汚く、潔癖症じゃない私も座りたくなかったです。そして冬は便座も冷たく、日本のトイレの素晴らしさを再実感することができました。最後は毎週教会に通ったことです。私がお世話になったホストファミリーは全員毎週日曜日に教会に通っていました。私も毎週ついて行き、教会でベビーシッターのボランティアにも参加しました。教会といってもみなさんが想像しているような教会ではなく、この写真のような現代的な教会でした。この経験によって、宗教の違い、文化の違いについて学ぶことができました。
以上で、私の帰国発表は終わります。今までたくさんのサポートをしていただきありがとうございました。この貴重な経験を、これからの人生に生かしていきたいです。ご清聴ありがとうございました。
出発挨拶
大谷 やえ氏
みなさん、こんにちは。
派遣候補生の大谷やえです。
今日はお時間が迫っているということで少ない挨拶で失礼します。
まずは前回に引き続き宮の杜ロータリークラブの例会に招待していただき、ありがとうございます。皆様のサポートによって今月の17日に出発を迎えることができました。本当にありがとうございました。そして私の3日後に交換で来るケンジにも是非皆さんよろしくしていただけると本当に嬉しいです。また1年後にななみ先輩や奥田先輩のように挨拶できるように頑張りますので、この1年間サポートをよろしくお願いします。ありがとうございました。