ONLINE MEETING

ネット例会

第179回例会

2024年5月9日開会

通算179

ネット例会報告

開催日

2024/5/9

※例会開催日はです。

開会点鐘・歌の斉唱

君が代

四つのテスト

会長挨拶

だいぶ声は大きくなったと思うんですけれど、まだちょっと声が足りないということですので次回はもう少し頑張って大きい声で歌いましょう。
先日、青少年奉仕委員会で行っていただきました交通安全教室が中部日本自動車学校様のご協力のもと、行われまして無事に終わりました。どうもありがとうございました。
それをもちまして名古屋宮の杜ロータリークラブの当年度の事業というものは一通り終わりました。
ただし米山奨学生、青少年交換留学生の方は継続してやっていただいてますので、事業が全部終わっているというわけではなくて、まだ宮の杜の奉仕活動というのは継続しております。
先ほど、高木直前会長の方からも奉仕の話がいろいろ出ましたが、理事会等でも何か事業をするときに奉仕に対して会員の皆様、理事の皆様の考え方が本当に大きく異なりまして、私はそれでいいんだろうなと思って皆様のご意見をいつも聞いております。
先日のスペシャルオリンピックスのジョギング大会のボランティアに、堀場さんと堀場さんの家族の方が何回目かなんですが参加してくださいました。昨日、たまたま委員会があったので堀場さんと話をしたんですけれど、堀場さんの息子さんが本当に一生懸命応援するんですね。僕は堀場さんの息子さんの姿を見ているだけですごく感動しました。前回もすごく頑張って応援していらっしゃって、さすが、運のいい堀場さんの息子さんだけあるなと思ってさらに見習おうかと思いました。
先ほど申しましたように奉仕というのは本当に人それぞれいろんな考え方がありますので、自分の体を動かしてなんぼだとか、相手の顔を見て体を動かしてなんぼだって思う人もいれば、地区のほうで青少年交換留学をする上で各クラブからいただく寄付金が非常に運営上ありがたい、それだけで立派な奉仕なんだと加藤幹事がよくおっしゃってます。私もそれは一つの奉仕だと考えております。
どこかに寄付をすると名前をバーンと出してもらう方もいらっしゃいますし、匿名でお願いしますという方もいらっしゃって、人それぞれ奉仕に関して、寄付に関してはお考えがたくさんあります。私たち宮の杜ロータリークラブは今年、社会奉仕委員会のほうで3月は本当に寒い中ラブリッジの応援にも行かせていただいたりと本当に多種多様な奉仕活動がありました。ぜひとも今後とも自分を磨くという上で、宮の杜ロータリークラブの奉仕活動に自分に何が一番合うんだろうというふうにお考えいただきながら、ぜひいろんな事業、奉仕活動にご参加いただければと思います。あと2ヶ月ありますけれど、青少年交換、米山奨学生の方たちのサポートのほう、これからもよろしくお願いします。ありがとうございます。

幹事報告

●5月ロータリーレート 1$=157円
●5/11(土)・5/12(日)にRFFが開催されます。皆様ぜひご参加ください。
チケットの追加販売につきましては、当日チケットブースにて販売しております。どうぞご利用下さい。チケットはポリオ根絶支援となります。
皆様ぜひともご購入下さい。1枚2000円です。
●6/20(木)下期納会は今年度も八勝館にて行います。
全員出席を目指しておりますので、皆様宜しくお願い致します。

●次回例会は5/23(木)12:10~13:30@若宮の杜迎賓館となります。

例会前11:00から次年度予定者クラブアッセンブリーが開催されます。

会場などお間違えのないよう、よろしくお願い致します。

委員会報告

高木俊郎ロータリー情報委員長より

皆さん、こんにちは。今月のロータリーの友についてご報告させていただきます。
今月は青少年奉仕月間となっております。青少年奉仕事業のこととしてRYLAのことが記載してあります。
当クラブは高橋親睦委員長がRYLA委員として地区に出向されております。ロータリーには「超我の奉仕」という哲学がありまして、「最も良く奉仕するものは、最も多く報われる」という言葉がございます。奉仕することによって、奉仕を受ける方々からも新鮮な視点や考え方を学べるメリットがございますので、奉仕についても一生懸命やっていただければなと思います。
RYLAについては以前高橋親睦委員長からご説明がありました。青少年の育成、青少年指導者育成プログラム、リーダーシップをもって頂けるように育成していく事業について記載してございます。
また、青少年との適切な距離を知りましょうという項目がございます。これは非常に重要なことでございます。昨今、色々と行政の長が問題を起こして退任されております。青少年との関わり方といわゆる一般の人との関わり方というのは、私たちの時代から大きく色々と変わってきておると思います。私も現在リカルド・バルバくんをうちにホームステイさせております。このページを見ることによって、この前ちょっと接し方を間違えたなとか、色々と勉強になることがございます。
今の常識がここに色々と書いてございますので、皆さんもぜひ見ていただいて参考にしていただければと思っております。
また、もっと知りたいパキスタンがあるという記事があります。
今週末にロータリーフードフェスティバルが開催されます。そこで私はポリオの寄附を募っておりますので、またぜひ皆さんお時間があるときに来ていただきたいのですが、パキスタンはポリオがまだ根絶されていない国の一つであります。
なぜ根絶できないのかというところについてはこの記事を読ませていただきますと宗教的な問題の偏見だそうです。
ワクチンを体に入れることが宗教上の問題であり、そんなものは入れるべきものじゃないという偏見があるようです。
また、それを促進する場合、その家族たちも身の危険にさらされるケースも少なくないらしいので、なかなかポリオの根絶ができないということにつながっているようです。

 

出席委員会 三輪孝之委員より

・出席率(出席免除者3名含む)
(今回)
第179回例会(5/9)
当日出席率:/49名 66.21%
(前回)
第178回例会(4/18)
当日出席率:51/73名 100%
不破直行より
今日長女くるみの誕生日です。
吹奏楽、勉強と頑張って下さい。
出口茂より  
伊吹さん、とうとう真打登場ですね。
本日は卓話よろしくお願いします。
IDM2次会参加者より
IDMありがとうございました。
飯田さん、お店ありがとうございました。

浅野慎之、大野将義、柴田智志、高橋勝之、堀場和孝より

第178回例会を祝して

6/20の下期納会では出席率100%を目指しております。ご協力をお願い致します。

 

不破直行青少年奉仕委員長

会長挨拶もありましたが4月27日に親子安全教室を行いました。参加者11家族39名でした。
参加された方、お手伝いに来てくれた方、ありがとうございました。
アグリエデュケーションジャパンの田植えが6月8日に開催いたします。また詳細をご案内させていただきますので、こちらもよろしくお願いいたします。

牧野ななみ2024年4月
奥田紘也2024年4月


水野紀孝米山奨学委員長

今日もキムさんが2回目の例会に来てくれています。
キムさんの予定も聞きつつ、懇親会を開催しようと思っております。
日程が決まり次第、皆様にもご連絡いたしますのでご都合の許す限りご参加いただければと思います。

 

奨学金贈呈式

キムさん挨拶

皆様、こんにちは。GWはいかがお過ごしだったでしょうか。
私はGWに3日間京都に行ってきました。京都は初めてで、びっくりしたのが名古屋から京都まで新幹線で30分しかかからないことです。短いなって思いました。大阪も一緒に行ってきました。
京都で2日間、清水寺とか稲荷神社に行ってきました。清水で飛べる覚悟で見に行ったんですけど、人が多すぎて、背が低すぎてあんまり景観を見れなかったんでちょっと残念でした。稲荷神社は本当に良かったです。
あんまり調べずに行ったんで、想定外の山登りになってしまって、2時間くらい山登りをしてきました。
大阪はいつも通り賑やかで本当に良かったです。でもゴールデンウィークなどの人が集まる時期は避けたいですね。
行く間にYouTubeで日韓歌王戦っていう日韓共同の番組を見ながら行きました。
その中で印象深かったのが、歌心りえさんという方の絆、橋幸夫さんの絆という歌を韓国のリンという歌手と一緒に歌った企画です。韓国にもそういう歌詞だけ違う同じ日本の方が作ってくださった歌を日韓分けて違う歌詞だけで歌った歌がございます。本当に涙出るほど感動してしました。自分はあんまり見た目ではそう思わないかもしれませんが、昔の歌が好きで、三波春夫さんの「世界の国からこんにちは」とか「私がおばあさんになったら」とかっていう日本の昔の歌とかも好きで、自分のおばあさんが韓国のトロットとか演歌とかめちゃくちゃ好きでしたんで一緒に聴きながら好きになりました。
自分は歌声合成の研究をやっております。本当に歌が好きなので、歌っていうのは本当に世界どこでも繋がってこんな平和にみんなが共同の何かを目指してるなって思って、いつも感動しております。
こんな平和な交流法があるかなって思いました。今月もまた1ヶ月間よく勉強して、来月もまたよろしくお願いします。
これからも精進いたします。ありがとうございました。

山本洋一親睦活動副委員長

この度、親睦委員会では平和の交流の一環として、第一回カラオケ大会を企画いたしました。
6月6日19時開場で、20時から開会したいと思います。
我々こそはという歌自慢の方、盛り上げ上手の方はぜひ歌にご参加いただきたいと思いますが、私は歌えないよという方の参加も全然結構でございます。歌われる方は、2,000円プラス飲食費、歌わないという方は飲食費だけで結構です。
ぜひとも多くの方々にご参加をいただきたいと思います。
5月21日が締め切りになっています。まだ人数がわからないので会場も決めておりませんので、早めにご入力いただけると助かります。ぜひよろしくお願いいたします。


酒井俊皓会員よりお礼

皆さん、こんにちは。
今日はスペシャルオリンピックス愛知の理事長として一言お礼を言いたいと思います。
先ほど会長からお話がありましたように、4月28日に瑞穂グラウンドを中心としてジョギングフェスティバルというスペシャルオリンピックス愛知だけがやっている事業を開催しました。
当日は非常に天気もよく、千人を超えるアスリートやファミリーに参加してもらいました。非常に盛大に行われました。
ドアラにも来てもらったので、非常に子どもたちも喜んでました。
残念ながら、朝の挨拶の時に年配の方が一人倒れられて、帰ってきてから一人嘔吐した方がいたんですけれども、ちゃんと無事に終わりました。今回人数が多かったものですからボランティアの方がたくさん参加をしてくれて助かりました。ありがとうございました。

その他

~委嘱状伝達式~

地区青少年交換委員会 安藤和樹会員    地区青少年交換委員長 加藤謙一会員

           

地区国際奉仕副委員長 鈴木拓将会員  地区RYLA委員会 高橋勝之会員  地区補助金委員会 高木俊郎会員

                

地区職業奉仕委員会 安田保会員

 

 

~入会式~

森川 衛氏  ↓

 

~卓話~

伊吹 洋平 会員

「NO TIME TO DIE」

本日卓話を務めさせていただきます、プログラム委員長の伊吹洋平でございます。どうぞ、よろしくお願いします。

「NO TIME TO DIE」、皆さんご存知のとおり、007ジェームス・ボンドですね。映画でもありました。ジェームス・ボンドは殺しのライセンスを持っています。私の持つライセンスは保険のライセンス、保険屋でございます。私と保険、私と死、密接な関わりがあります。今日は死について語っていきたいと思います。私の今、50歳までの半生をお聞きいただければと思います。

昭和62年、私が中学校2年生のときに最愛なる母が亡くなりました。癌。闘病で3年半ぐらい特別室に入っていました。もう最後1年ぐらいは本当に手が全く意識もなくて、握手すると本当に100回に1回ぐらい返してくれるぐらいの闘病生活でした。頭の癌でしたので、今も鮮明に覚えていますけれども頭に何個も切り傷があって、剥い傷があって非常に倒れたときから亡くなったときまでずっと私は覚えています。42歳でしたので、私はもうすでに50歳半。寿命は超えて生きさせていただいています。私には2つ上の姉と6つ上の姉がいまして、私は末っ子長男です。

ここから私のルーツに移っていきたいと思います。私、伊吹山の出身でございます。生まれたのは名古屋なんですが、ずっと先祖代々の伊吹山の出でございます。大体8代、9代まで遡れるらしいんですけれども、毎年まだまだ何百年も経つお墓に必ず8月に行っております。私が20歳のとき以外は49回全部行っています。それぐらい伊吹山とゆかりがある家系になっております。なぜそこまで関係が深いかというと、やはりずっと先祖代々の方だと、繁栄と衰退、繁栄と衰退。平平凡凡といって、いろんな代が脈々と歴史が家系というものはあると思うんですけれども、うちの家系はひどく成功した人もいれば、本当に衰退して私のおじいちゃんは8歳のときにひいおじいちゃんと京都の五条河原で行き別れをしたそうです。伊吹山で人にだまされたのか、略奪にあったのかわかりませんが、下山しろと伊吹山にいるなということで9歳のときに行き別れをし、名古屋の西区の栄生に遠い親戚を頼ってリアカー1台引きながら歩いてきたそうです。そこから私のおじいちゃんは血のしょんべんを毎日流しながら豆菓子を当時作っていたらしいんです。ずっと働くきづめで働いて、当時戦前ですのでみなさん裕福な時代ではないので、そんなの当たり前だろう。普通の話だよって思われると思いますが、うちのおじいちゃんもそうだったらしいです。そこからおじいちゃんは9歳で行き別れした後、名古屋に来るんですが、名古屋からずっといつか見てろという形で会社を設立していきます。それが昭和8年に設立した会社で、いぶき製菓という会社でした。いぶき製菓で起業いたしまして、ひどく儲かったそうです。当時は従業員さんを雇って、パートさんを雇って、次はロサンゼルスに豆を輸出していくという大成功をおじいちゃんは収めていったそうです。その後、愛知県の菓子組合の会長、愛知県の生菓子も袋菓子も全て含めた菓子業界の会長を長きに渡り貢献し、弱者を救う。お金がなくなって運転資金がない会社さんがおじいちゃんのところに寄ってきては、この金いつ返してもいいから返さなくてもいいから、商売を続けろ続けろって、何人も救ってきたそうです。自分のために金は使わず、人様のためだけに金を使う。だから人望があったそうです。父は、昭和天皇から紫綬褒章をいただいた。そんないぶき製菓が破産の道へと参ってきます。

いぶき製菓に入る前、94年の8月です。私がワーキングホリデーというビザを使いましてバンクーバーに行きました。なぜかと言いますと、私は直系ではなくていとこが直系なので、弟の息子ということで、社長になるべき人材ではなかったんですね。それに気づくのが遅くて高校生ぐらいで気づいたんです。自分は社長になれないんだと。であるならば違う道を行こうということで、海外にかなり興味が若い時からあったので、自分は海外に行こうと思ったんですが、いとこはどうしてもやっぱり身内が欲しいんだ。だから1年やるから好き勝手やってこい。世界見てこい。そのかわりに帰ってきたら一生懸命働いて、いい思いしようと当時の錦の高級クラブでウイスキーいただいて、私は初めてそういうお店に行ったものですから、舞い上がってしまって反抗しようと思ったんですが、はいわかりましたということで、期限つきで1年行かせていただくことになりました。行きましたら向こうでホリデーをしながら仕事もものすごいしてました。多分バンクーバーで一番給料の高いスモークサーモンの業者のほうで血眼になって働いて、お金貯めてバイク買って、アメリカに革ジャンを買いに行ったり、一人旅をしたり、こんな二十歳の青春を過ごしておりました。そうすると早いものですぐ1年過ぎました。21歳からいぶき製菓という会社に入ります。焼き菓子などを全国のスーパー問屋さんを通して売り歩いてました。ずっとお菓子ばかり売る営業をしてまして、名古屋にはほとんどいない。時には青森まで車でずっと回っていくみたいなこともしておりましたが、順調にいってたはずがPL法という製造物賠償責任法というものが日本で施行されて、もう本当は変なやからが髪の毛が入ってたとか、釘が入ってたとかイチャモンつけてみんな大手もやられた時代がありました。ものすごい裁判になってます。ブルボンさんとかカルビーさんも全部やられてました。こんな弱小の零細企業のうちにまでそういうものがのしかかって、当時無印良品というプライベートブランドは3、4品入れてたんですが全部カットで、その売上が回らないとだんだん良くない方向に転機していきました。これはダメだと。何か違う策がないのかということで初めてコンビニエンスストアに商談に行ったのが私になりました。サークルK、セブンイレブン、ローソン、最初は全く相手にされませんでしたが、どんどんバイヤーとの折衝、そして商品開発を経て、売価もうちの会社の商品なので、自分が決めます。粗利も利益も全部自分が決めます。デザインも全部。それがコンビニの5000店舗、8000店舗、1万店舗に並ぶようになりました。しかし24時間機械回しっぱなしなので、機械は故障する、人はいない、外国人も雇ってましたけれどいい加減で辞めていってしまう。とんでもないクレームがあって、また資金繰りがどんどん悪い方向に行ってしまいました。すると平成13年の6月20日、いぶき製菓、不渡りを出して倒産になりました。まさかな。80年続いた会社がまさかな。俺たちで100年迎えるんじゃなかったのかな。私のいとこと会社の整理をしていきます。弁護士さんに入っていただいて。いぶき製菓がなくなる前によく出入りしていたアリコジャパンの保険屋さんが入ってきました。社長室に入ってたので、なんかおかしいな。最近、またよく来るなと思ったら、生命保険に社長は入ったんですね。また新たに。要するに自分が死ねば何億と運転資金という保険金が入ってくる。アコギな商売だなと思ったんですけど、なんだそれ、すげえな。社長は入りました。その後1年かけてなんとか整理がついて、私行く場所がなくなったんで、家もない会社もない工場もない。何もない。内海に行ったんです。なけなしのお金で焼きそばとビールを飲みながら、いとことこれからどうしていくという話をしてましたら、いとこがもう俺は36だ。その時いとこは名古屋青年会議所に入ってました。ただもう続けられない、恥ずかしくて。俺はもうJCを辞める。お前、悪かったな。お前は菓子だけじゃなくて他の多種多様な人間たちと経営者と肩並べて、そういう会に入れるようにしてやりたかったんだけど、俺だけJC入っててごめんな。僕は悔しくて、何でJCも入れねえなのかよって思ってました。JCは僕の憧れでした。その後彼は保健屋になりました。

私はアルファロメオという車がすごく好きで、ずっとアルファロメオに乗ってました。私はもうこれは自分の好きなことをやろう、とりあえず車を売ってやろうということで加藤モータースという今もまだ高辻にありますが、ここに転職します。転職といっても、時給750円の車洗いから始まりましたので、毎日真っ赤なつなぎを着て、先輩たちが売った納車したオイル交換だっていう車をピカピカに磨くことをずっとやっていました。あるとき、フェアがありました。するともう人手が足らないからオイ伊吹、お前ちょっとつなぎのままでいいから接客してくれよって言われ、ものの見事にパッと売れたんですね。あれ、何であいつが売れるんだ?もう答えは簡単です。皆さんアルファロメオは売ったことがあっても乗ったことはなかったんです。僕はもうずっと乗ってきたのでどんなエンジンで、何が官能的で、スピードじゃない感じるものって何かってすべてわかってましたので、そこから怒涛の勢いで私の営業人生が始まっていきました。お客様に納車する前に必ず許可をいただいて写真を撮らせていただきました。このように売って売って、売って売って、売りまくってました。名古屋高速が当時700円でしたけれども、私は身銭を切って試乗のお客様を隣に乗せて私が運転して、どんどんどんどんスピード出します。どこにカメラがあるかも全部わかっているので、ものすごいスピードを出してものすごい減速をして、それがアルファロメオの楽しみだよって言って、もう試乗から帰ってきたらみんなフラフラなんですね。こんな楽しい思いをしたことない。その代わりに伊吹は一円も値引きしませんよと言っても、みんな私から買ってくれました。神がかっていました。ただものすごい給料安かったんです。売っても売っても、売っても売っても全然、全く。家を取り戻すなんて夢のまた夢でした。それが続いたんですが、私の先に保険会社で勤めていたいとこがショールームに来まして、いつまでこんなとこでやってるんだ。もっと厳しい業界に行くべきだ。俺ら会社潰してんだ。お前の母親の時もめちゃくちゃ金かかったよな。あの治療費、会社からも出てるぜ。社長は死ななかったけどあそこで自殺してたら会社は救われたんだぜ。それを伝えるのって俺たちしかいないじゃん、なりたくてなる保険やか、ならざるを得ない保険やか。俺たちはどっちなんだよということで32歳の時に保険業界に転職いたしました。そうしましたら最初はどんどんどんどんご契約をいただくわけです。今日いらっしゃる大塚真次郎さんも実は私の幼馴染、山田浩史さんは幼稚園の同級生でした。営業に行くとこなくなっちゃったので幼稚園の先生のとこに営業しに行ったんですよ。しかし卒園児だからといって幼稚園ぐるみでセールスするわけにはいきませんでした。そこに山田浩史君の実家が喫茶店をやってたんで喫茶店で久しぶりですって言ったら、浩史くんが大塚真ちゃんで知ってる?会社やって若くからバリバリ社長をやってるぜ、また会いなよって会わせてくれたんです。ここにも数多くのお世話になっている方いらっしゃいますので、一人一人はお名前出しませんけども、皆さんに救われながら保健業界をなんとかなんとか生き延びました。しかし一社だけではもの足りないので代理店に移りました。実は32歳くらいの時に、いとこの諦めた除名した名古屋青年会議所に入会をいたしました。ただその時もまだ私は市営住宅に住んでいました。年収は親もゼロ、伊吹洋平もゼロということは22,800円だったと記憶してます。やたら広いんです、洗濯物もよく乾いて。そこに住みながらJCに入りました。でも飲み会などはお金がないのでお断りしたり、お酒飲まない方が送ってくださっても市営住宅っていうのが恥ずかしくて近くのサークルKで降ろしてもらっていました。ただ、隠してもしょうがない、ちっちゃいなと思ってそこからふっ切れていろんな方と知り合いになって、今このロータリー、そして今日この場に立たせていただいております。いろんなつながりですね。代理店だといろんな保健会社を扱えるので、頭にスキムを入れまくれます。このお客様にはこう、あのお客様にはああなんだ。業界の集まりがありまして日本、海外、これは海外の部のパーティーというか席なんですけどもこの世界中の保険屋さんから有益な情報を得られます。ただ保険といっても、アメリカや韓国、中国は税率がそこまで高くないので保険に入る必要って実はそんなにないんですね。こんなに保険に入っているのは日本だけなんです。そういうことでここから私の人生がまたちょっと明るくなっていきます。こういう人たちと一緒にいると、いろんなところにずっと世界を回るたびに出ていきます。ここからちょっと趣味の話になっちゃうんですけど、カメラに目覚めちゃったんです。きれいな美しい景色だ。でもやっぱり世界中の女性を撮るのが趣味になってきまして。行っては行っては望遠で撮っていくんですね。捕まるか捕まらないか、ギリギリのラインです。こんなことを楽しみながら日々やっております。先ほどキムさんが京都に行かれたっていうことをお話しされてましたけども、私も京都は大好きで、よく神社に行きます。伏見稲荷も必ず行くんです。マイルーティーンとして。この仕事を続けていくのに自分が健康でないといけない。なので、日々やってることが数個あります。まず、これは牧野さんから教えてもらったんですけど、ワールドトレーニングですね。可動域をよくする。すごく私は体が硬いのでストレッチも週2回通ってます。そのおかげで怪我をしづらくなったのもあります。あとEMSという体に電気を流すんですね。微弱電気を当てることによって血流がものすごく良くなって若返りというか、老化を防ぐ。あとエナジーテラピー。これも鉄の板に女性が乗って、女性が電流を流しながら自分に入れていくんですね。そうすると、ものすごい電気がガーッと入ってきて、全てが楽になります。そんなことやってるんですが、一番ルーティンとしてやってることはこのお参りです。先ほどの話に戻っちゃいますが、うちの祖母の家系は宮司・巫女さんの家系でしたので、伊吹山って実は1337mしかないんです。なのに、100名山なんです。100名山の条件は1500m以上の山しかならないのです。1500m未満の100名山って日本に伊吹山入れて4つしかないんです。なぜ評価されたか、ストーリーがあるからです。そして豪雪地帯でよく人が死んだんです。関ケ原でも死ぬ。豪雪で死ぬ。登った人はよく人が死んだんです。私の祖母の家系が鈴鹿の山脈から30人ぐらい引き連れて伊吹山の祟りをおさめたという方なんですね。なので、非常にゆかりが高い。伏見稲荷の頂上です。皆さん行かれてる方もいらっしゃると思いますけれども、肝心なのは表じゃなくて、裏です。この裏にお参りをしてください。そして最近では伏見稲荷に朝一で行って、もう一つ鞍馬山まで行くルートを作りました。鞍馬山は実は宇宙につながっているんです。ここの六角の部分、六角の部分があると思うんですがあそこに立ってお願い事をすると宇宙からぐーっと周波数が降りてきて願い事が叶う的なこともあるので、ぜひ皆さん行かれては。こんなことを繰り返しながら何かにつけて日々に感謝、今生かされていること、母が亡くなったよりもずいぶん長く生かさせていただいています。そんなことを感謝しながらいつも助けられてまたこのロータリーの皆様にも私が入会させていただいて4年目くらいかと思いますけれども、いろんな方に可愛がっていただいて、いろんなお友達も増えてまいりました。

ぜひ、これからも微力ではありますが、宮の杜ロータリークラブの一員として引き続き仲間に加えていただければと思います。

拙い私の卓話でございましたけれども、ご静聴いただきましてありがとうございました。

 

 

 

 

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